不思議な世界に住んでいた幼少時代

説明のつかない出来事

私はこれまでに、何度も不思議な経験をしました。そのうちの一つが前述の「空間移動したカタツムリ」のことなのですが、それ以外にもいろいろなことがありました。

ざっと挙げるだけでも・・・。

  • 近くの神社内の池のほとりに立っていたカッパ(宇宙人?)を目撃する
  • 友達の家を探していて、異次元に迷い込む
  • 自分のそっくりさんを見る
  • 蚊取り線香が空間移動
  • 目の前でティッシュが燃え上がる
  • 火事を4度も経験
  • 夢で見ていた地球以外の星に住んでいた
  • 影の大男に首を絞められる

しかし今から思うと、何と言っても一番不思議だったことは、小さなころ毎日のように一緒にいてくれた、ガンダルフ似のスピリチュアル・ガイドのおじいさんの存在でした。そしてまた、オーラが見えたり、ところ構わずメッセージが降りてくる、という状況も、あまり一般的とは言えなかったと思います。

スピリチュアル・ガイドからのメッセージは、セッションで言葉や絵としてお伝えするとして、今回は幼少期のことと、上記エピソードから1つ、特に印象深かった体験をお話したいと思います。

オーラが見える

私と双子の姉は、二人ともオーラが見えていたので、それが当たり前だと思っていました。周囲の人たちも皆、私たちと同じように、オーラが見えているものだと思っていたのです。

ところがある日、それが私たちだけなのだということに気づきました。それは小学校での、図画工作のクラスでのことでした。

その日の図画工作のクラスは、隣に座っている同級生の肖像画を描きましょうというものでした。私は隣に住むKちゃんと机を向い合せにし、お互いを描きあいました。

算数や理科は嫌いだったのですが、国語や図画工作は好きでしたので、私は意気揚々とKちゃんを描き始めました。Kちゃんの特徴を掴み、鉛筆とクレヨンでありながら影を付けたりして、なかなかよくできたと満足感に溢れていました。そして仕上げは、オーラです。Kちゃんの体の周りを取り巻いている、赤と緑をクレヨンでくるくると円を描くように付け足しました。

そしてクラスがまもなく終わりに近づいたのでしょう、先生が絵の回収に机を回り始めました。先生は「Tくん、目がこんなに大きかったら、マンガみたいよ。」「ブラウスの模様まできっちり描けてるね」などと、一言ずつ感想を述べながら回っていました。

私は、かなり自信作が描けたと、先生がどんな言葉をかけてくれるのだろう・・・とワクワクしながら自分の番を待っていました。そしてとうとう先生が私の横にやってきました。

「あれ、これは何?実際にあるように描かないといけないよ。」

先生は困惑した表情で、Kちゃんの体の周りに描いた赤と緑の円を指さしています。私は一瞬、何を言われているのか理解できず、慌てて周りの同級生の描いた絵を見渡しました。

すると、ないのです。人の体から発せられているオーラを、誰一人描いていないのです。

それが私が初めて「オーラは全員に見えているものではないのだ」ということに気が付いた瞬間でした。

通知簿に記された「栄養失調児」

前回の「不思議な半生」に書いたように、私は双子の姉と一緒に、若いお手伝いさんに育てられました。当時は、西日の射す狭い部屋に一日中閉じ込められていましたので、外との接触がなく、いつも本ばかり読んでいる子供でした。

そして食べるものも、一日、お茶一杯と菓子パンやおにぎり1つだったせいで、私たちはいつもお腹を空かせていました。田舎から祖母が来ると、お手伝いさんもさすがに遊びに出れなくなるので、そのときはご飯を食べることができました。それが私たちの命を繋いだと言っても過言ではないと思います。

そのお手伝いさんからは、遊びに出ていることを親に言うな、と口止めされていましたので、誰に話すわけにもいきませんでした。しかし祖母が私たちの着換えを手伝ってくれていた時に、背中一面につねられた痣があるのを見つけ、それを母親に話しました。当時、家の中の金品が無くなるということが多発し、そのお手伝いさんを疑っていた母親は、彼女をすぐに問い詰めました。するとお手伝いさんは、家を飛び出し、それきり帰ってきませんでした。

そういったわけで、私たちは何とか部屋に軟禁されることは免れたのですが、今度は母からの更なる虐待や、一つ上の姉との差別にさらされることになったのです。

保育園に通うようになっても、お弁当は作ってもらえず、いつも朝、開いたばかりのパン屋さんで菓子パン1つと飲み物を1つ買い、それが毎日のお昼ご飯でした。そして当時、商売をやっていた両親は、作った夕食を食べるのも、まず両親と従業員が先。そしてその残り物があるときだけ、私たちが食べるという状態でしたので、時にはご飯以外、何も食べるものがない日もありました。

小学校に上がってから、毎年、定期健康診断がありました。地域の医者が学校にやってきて、健康状態を調べるのです。私はその日が嫌でたまりませんでした。身長や体重を図る際、下着姿にならないといけないのですが、いつも一つ上の姉のお下がりを着ていたので、穴の開いた薄汚れた下着だったからです。また、そういう食事状況が影響していたのでしょう。通知簿には、いつも「栄養失調児」と記載がありました。

そしていつしか、私たちの髪の色はレンガ色のような茶髪になっていました。そして高校生になると、一年に2回ほど、「頭髪検査」が突然行われました。校則に反して、髪を染めている生徒や、パーマをかけている生徒を調べるためです。

先生は全校生徒を校庭に集め、順番に検査をしていきます。そして疑わしい生徒を別の部屋に集めるのですが、私たちもいつも検査のたびに、その部屋に行くように指示されていました。「髪を染めている」嫌疑をかけられていたのです。

しかし私たちはおとなしい生徒でしたので、先生もそのうちに地毛の色なのだと理解してくれるようになりました。

冒険ごっこ

これは小学校低学年のときの不思議な出来事です。

小学校のある時期、学校が終わると、一つの楽しみがありました。

それは、クラスメートの家を訪ねていく、というものでした。

毎日、1人の友達に目星を付けて、その子から大体の家の場所と、そこまでの目印になるような建物を教えてもらい、家までたどり着くという遊びでした。

当時はどこか行ったことがない場所に行くときは、住所を聞いて、地図を見て探し当てる、というような時代でしたが、私たちは地図も持っていませんでしたし、地図の見方も良く分からなかったので、聞いた情報だけが頼りでした。

それでも、同じ学校に通うクラスメートの家ですから、自分の家から、そう遠く離れているわけはありません。地図がなくても、結構簡単に見つけられるので、私たちはそれを「冒険ごっこ」と名付けて楽しんでいました。

ところが、その日は、いつもと勝手が違っていたのです。

異次元の世界に迷いこむ

「そしたら、だいたい4時ぐらいに行くからね!」

私たちは友達のSちゃんにそう言い、学校を後にしました。

まず家に帰り、ランドセルを降ろした私と双子の姉は、一休みすることもなく、すぐに家をまた飛び出しました。

毎日のようにクラスメートの家を訪ねていたので、家の周囲の土地勘はかなり付いていました。しかし今回のSちゃんの家の方面は、あまり行ったことがなく、馴染みのない場所でした。

「〇〇町の歩道橋のそばやんなぁ?」「うん、そうそう。」

そういう不安もあったのかもしれません。私たちは珍しく、お互いに方向を確認しあいながら、Sちゃんの家を目指して歩いていきました。

そうして20分ほど歩いたでしょうか。私たちは異変に気が付きました。

Sちゃんの話してくれていた、目印となる建物が見つからないのです。歩道橋の近くの、赤いポストが前にある建物を左に曲がる・・・ということだったのですが、歩道橋はあっても、赤いポストが見当たらないのです。

あと、もう一つ、Sちゃんからもらっていた目印が、「お寺を通り越して」というものだったのですが、お寺らしきものも見当たりません。

私たちは何度も何度も、同じルートを行きつ戻りつしていました。その時々に、小径にそれて入ってみるのですが、やはり思い当たるようなところはなく、元の道に戻ってまた最初から・・・ということを繰り返していたのです。

気が付けば、約束の4時をとうに過ぎていました。

だいたい、いつも友達の家には、徒歩で10~15分もあれば着いてしまいます。ところがこの日はすでに1時間以上も歩き続けていたのでした。

「同じ学校区だし、遠いわけがないのに、なぜ目印が見つからないんだろう?」

私たちはいつもと何か違うことに気が付き始めました。

ところが、こうなると、あきらめて帰るというよりも、逆に意地になるものです。「絶対、Sちゃんの家を探し当ててやる!」という気持ちに火がついてしまった私たちは、なおも歩き続け、横道という横道に入っては、目印となるものを探し続けました。

すると、しばらくして、やっとお目当ての通りと出会ったのです。

それは大通りのにぎやかさとは違い、ひっそりとした静かな通りでした。縦に細長く、左側は表通りの店舗の裏側になっていて、右側には高い石作りの塀が続いています。入った瞬間は、その塀の向こうにある建物が何か分からなかったのですが、歩いていくうちに、その建物がお寺であることに気が付きました。見上げると、塀越しに、お寺っぽい作りの瓦屋根が見えています。

「あ、お寺や!Sちゃんの言ってたお寺や!」

私たちはその発見に喜び、歩を早めました。

すると、前方に、誰かが立っていて、こちらを見ているのに気が付きました。その瞬間、背筋にぞーっと寒気が走りました。

その人は、大柄な男の人で、お坊さんのような袈裟を着ていました。そして塀に作りつけた門の前に立っているのですが、どういうわけか、とても怒ったような顔で、私たちが歩いてくるのを睨みつけているのです。

私たちは、心の中で、お互いに会話をしていました。

「あの人、怖い顔してこっち見てるで。何か嫌やなぁ。」

「でも私ら、何も悪いことしてへんし。ただ歩いてるだけやん?」

「そうやな。無視して通り過ぎよう。」

そうして私たちは、どんどん歩いていきました。

そしてそのお坊さんを横目に通り過ぎ、なおもまっすぐに続く道を歩いていくと・・・。

「待てぇ!!!」

何とそのお坊さんが私たちに向かって追いかけてくるではないですか!

私たちは、瞬時に悟りました。

「これはお坊さんじゃない!」と。

Sちゃんの家に到着する

それから私たちは無我夢中でその道を駆け抜けました。

気が付くと、大通りに出ていました。しかしその大通りは、今まで何度も歩いた道とは少し様子が違っていました。どこがどう、とは言えないのですが、前はあまり人がいなかったのに、今はたくさんの人が歩いていて、温かみがあり、イキイキしているように見えたのです。

私たちは後ろを振り返りました。さきほどまですごい形相で、袈裟の袖をうちふりながら追いかけてきていたお坊さんは、もういませんでした。

その時、目の中に、赤いものが飛び込んできました。

前方の歩道橋のそばに、赤いポストがあるのです。

さっきまで、何度も通った歩道橋。どこを探しても見当たらなかった赤いポスト。

それが今、通りの向こうに見えているのです。

私たちはキツネにつままれたような気持ちで、おっかなびっくり、そのポストに向かって歩いていきました。

それから、ものの数分で、いともあっけなく、Sちゃんの家に到着したのでした。

私たちが到着したときは、すでに5時を回っていました。SちゃんとSちゃんのお母さんは、私たちが来るのがあまりにも遅いので、心配して玄関先で待っていてくれました。

そして私たちの疲労困憊ぶりにびっくりして、何があったのかを聞いてきました。私たちはSちゃんのお母さんが手渡してくれた冷たい麦茶を飲みながら、「ちょっと迷ってしまって、寄り道してしもてん。」と答えました。

なぜなら、Sちゃんにこの話をしても、信用してもらえないことが分かっていたからです。私たちが迷い込んだあの道は、この次元のものではなかったと、その時、私たちには分かっていたからです。

私たちは、このような不思議な経験から、「目に見えるものだけが実在するわけではない」ということを学んだように思います。これも将来、スピリチュアルの仕事をすることになる、そのトレーニングのようなものだったのかもしれません。

 

プロフィール③に続く⇒「火付け(パイロキネシス)」と言われた青年期

私のプロフィール①⇒何もかも人と違っていた私の半生

私のプロフィール④⇒英語と海外生活と最初の結婚

私のプロフィール⑤⇒結婚後も続く苦難、そして一筋の光

私のプロフィール⑥⇒アメリカでの人生、再スタート!

私のセッションについてはこちら⇒実際の生活に役立つセッション

 

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