「火付け(パイロキネシス)」と言われた青年期のできごと

人と接するのが怖い

私はその後、中学校・高校と、悩み多い思春期を過ごしてきました。生まれてきた家庭環境による影響が、心身の成長に影を落としてきたせいだと思われますが、私は人が簡単にできることが、なかなかスムーズにできないといった問題を抱えていました。いつも人と違っている、人より劣っている、という卑下や自己否定をしていたのです。

直接的には、母親のネグレクトや虐待によるものが大きかったのだと思います。母からは優しい言葉をかけてもらった記憶が何ひとつなく、同じ屋根の下に暮らしていても、何日も一言も話すどころか顔も合わさない日がありました。そして口をきいてもらえるのは、いつも何か言いつけられるときと怒られるときだけ、という状態でした。

私は母から「どんくさい」「アホ」「汚い」と罵られて幼少期から青年期を生きてきました。その中で、自分に自信が持てず、人前ではオドオドして何をどう言っていいものか、どう振舞っていいものか分からないという人格が出来上がっていったのです。

また、いじめもありました。大人になっていくにつれ、道徳心が備わっていくものですが、小学生のころの子供たちはまだまだ残酷な部分があります。素直さ故に、思ったこと、感じたことをそのまま言ったり、したりしてしまいます。

私が校庭を歩いていると、どこからともなく石やボールが飛んできて当たることがありました。最初は偶然かと思っていたのですが、それが何度もあったので、誰かが故意にやっていることに気が付きました。また、教室に戻ると、黒板一杯に「ヤクザの娘、出ていけ!」という言葉が書かれていたり、また机の中から教科書を出すと、その教科書いっぱいに汚物が付いていたこともありました。誰かが私の机の中に犬や猫などの糞を放り込んだのです。

いつも「私なんか無に等しい。生きていても死んでいても意味のない存在なんだ」という思いがありました。何の希望や夢も持てず、ただ人からは受け入れてもらえない、それは私ができそこないだからだ、母親が言ったように、私など生まれてこなければ良かったのだと、ただ人を避けて、毎日をやり過ごしていたのです。

そういう状態だったので、私は中学校・高校と、学校から家に直帰し、いつも両親の経営している食堂で働いていました。私の両親は関西一円でテキヤを営んでいたのですが、神事や祭事がないときは、テキヤを稼働できません。ですのでそれ以外は、食堂を開いて日々の糧としていたのです。普通ならば、放課後は友達とでかけたり、クラブ活動をしている時期だと思うのですが、私は人と関わることがとにかく怖かったのです。

それでもたまに、友達が週末などに遊びに誘ってくれることがありました。そんなときは友達の誘いを断れず、無理して出かけるのですが、町を歩いているときは、冬でも汗びっしょりになるほど緊張していました。私はきっと、通りすがる人々に、変に思われているに違いない。服装も髪形も動作までもが、人とは違っている。みんな私を笑っているんだ、というふうに思っていたのです。

宗教に救いを見出す

そんな中、あるがままの私を受け入れてくれたのが宗教でした。あるとき、信頼していた友達の紹介で、キリスト教のある宗派の方と出会ったのです。

もともと宗教には、中学生のころから興味がありました。というのは、その当時、近所にモルモン教の信者が住んでいたからです。彼らはアメリカからやってきた2人組で、いつも自転車で移動していました。そして私を見かけるたびに、声をかけてきてくれたのです。

彼らは日本人ではないから、私の親のことも知らないし、私のことを変に思わないのではないかという気持ちがどこかにあったのかもしれません。彼らの気さくで親切なところも手伝って、私はモルモン教を学んでいくことになりました。

そんな過程があったので、その後、友達から紹介を受け、キリスト教を学ぶのに、何の抵抗もありませんでした。むしろ当時の私にとっては、そうやって宗教を学ぶことは、唯一の拠り所になっていったのです。「家や学校には居場所がなくても、ここなら私でいられる」と感じていたのです。

その後、時がたつとともに、私は仏教系の宗教にも出会っていきました。そうして最終的には、神道も含め、古今東西のさまざまな宗教を学ぶことになりました。今から思えば、一つ終わればまた一つ・・・というふうに、いつもタイミングよく別の宗教に出会っていたようです。中にはカルトまがいの宗教もありましたが、そうして宗教を学んでいくうちに、ある一つの結論に至ったのです。

それは「真実は一つ。だけど見る角度によってそれは数千にも数万にも違って見える」ということでした。そして「神は愛であり、私たちにも備わっている素質」「私たちは自分の愛を表現するためにこの世に生まれてきた」ということでした。

今は私自身は、何の宗教にも属していませんし、属すつもりもありません。というのは、どの宗教であっても、良い宗教というのは、同じことを説いているからです。つまり愛を説いているのです。愛を実践していくということは、私自身のガイドも常に伝えていることでもあり、何かの宗教に属する必要性が見当たらないのです。

しかし、何かの宗教に属して、その教えを実践されている方も、それでいいのだと思います。そこにお役目があるのだと思います。

英語で広がった世界

中学校~高校時代、私は世界各国の人たちと海外文通をしていました。私はよく家の食堂を手伝ったお駄賃で、「ロードショー」や「スクリーン」などの海外の映画雑誌を買い、読むのが好きでした。また写真に写っている女優さんを奇麗だなぁと憧れの眼差しで見つめ、ときどきスケッチをしたりしていました。

ある日、その雑誌の中で、「海外に友達を作ろう!」というようなキャッチコピーで、海外文通の斡旋会社の広告を見つけました。それは日本に興味を持つ海外の人と、日本に住む海外に興味を持つ人とを結びつけて、英語が不得意な人には翻訳の手伝いもしてくれる・・・というものでした。

私の英語への親しみや憧れは、小さいころからのものでした。それは私が保育園に通っていたころにさかのぼります。当時、両親は家の近くで洋酒喫茶を営んでいました。食堂になる前身の店だったのですが、今でいうショットバーのようなところでした。そしてそこには、古いジュークボックスがありました。しかしどういうわけか、中に入っているレコードは、ジャズやR&Bなどの黒人音楽ばかり。店は夜に開店するので、私は双子の姉と一緒に、よく閉まっている店に忍び込んでは、そのレコードを繰り返し聞いていました。その後、その洋酒喫茶も取り壊され、ジュークボックスも無くなってしまったのですが、私がおこづかいで小学校5年生のときに最初に買ったレコードが、テンプテーションズの「マイ・ガール」でした。その曲をよく聞いていたからです。

当時は、聞こえるままに、意味も分からず、そういった英語の歌を歌っていました。しかし中学校に入り、初めて英語の授業を受け、英語の辞書を手にしたときに、今まで一つながりに聞こえていた歌の単語の一つ一つが、はっきりと分かるようになっていったのです。何について歌っているのか、意味も分かってくるようになりました。

また、そのころ、洋画劇場もテレビ放映されていましたし、「がんばれベアーズ」や「スタスキー&ハッチ」などのアメリカのテレビドラマも日本で放映され、人気が高まってきていた時代でした。私はそういった番組を見ては、アメリカの大きな家や、青い空、広大な自然などに豊かさを見、憧れの気持ちを募らせていました。私の生活とは真逆の世界がそこにある、と感じたのです。

そこにきて、この海外文通の広告を見つけたことは、天からの采配のように思えました。英語はある程度分かっていましたし、憧れの海外にペンパルができる・・・というならば、やらない手はありません。私は、外には出て人と接することはできないけれど、こうして家の中からでも世界と繋がることができる・・・。そう思ったのです。

そして私はその後、世界中30か国を越すペンパルと文通し、交流を深めていったのでした。

不思議な女性客

私は今まで4度の火事にあってきました。一度目はまだ赤ちゃんのころ、二度目は17歳のころ、三度目は20歳のころ、四度目は23歳のころでした。

四度目の火事があったころ、私は実家の両親の食堂で働いていました。そして火事の数か月後、お昼のランチのピークを過ぎ、ほっと一息ついていたときに、ある初老の女性が店に入ってきました。

その女性客は、おでんを一皿注文し、それをゆっくりと口に運びながら、あちこちを見回しています。私はちょっと変わった人だなと思いつつ、何も言わずにいました。するとその人がおもむろに、「あなた、この場所、磁場がいがんでるわね。」と言われたのです。

一瞬、意味が分からず、えっ?という表情を見てとったのか、その人は続けて「うん。このあたり、磁場がいがんでるから、よく不審火とか起こらない?」と言いました。私はそこで初めて口を切りました。火事と聞いて思い当たることがあったからです。

「確かに今まで、私の家で4度ほどの火事がありました。でもどれも、不審火というわけではなくて、ちゃんとした原因がありました。あ、でも・・・。」私はそこで思い出しました。4度目の火事で、店の一部が燃えたときは、消防署も原因が分からない、と言っていたことに。

そしてまた、今まで火事にはならなかったものの、火にまつわる不思議な出来事があったことも思い出したのです。

蚊取り線香と、突然燃え出したティッシュ

それは、私が中学生ぐらいのときでした。寝室で双子の姉と並んで寝ていたのですが、夏場で蚊が多い時期でしたので、祖母が部屋にケースに入った蚊取り線香を置いてくれていたのです。

その夜、私は何か鼻先に充満する煙臭さに目を覚ましました。暗闇の中で何事かと見てみると、枕のすぐ横の布団に、小さな火が付いていました。びっくりして飛び起き、電灯をつけると、蚊取り線香が布団に落ち、火が移っていたのです。私はあわててその火を叩き消しました。幸い、小さな火でしたので、すぐに消えましたが、布団には黒い焼け焦げが残っていました。

私はなぜ蚊取り線香がこんなところに?と不信に思い、ケースに目をやりました。すると、そのケースは、ちゃんと蓋が閉まったままになっているのです。蓋には穴が開いていて、そこから蚊取り線香の煙がでるようになっています。ですので、なぜ、蚊取り線香だけが外に出たのか、しかも1メートルは離れている布団の上に着地したのか、説明が付きませんでした。

また、これは父との目撃談なのですが、ある日、父が家に戻ってきたので、父と一緒に父の部屋についていったことがありました。すると父の部屋の机の上にあった、丸めたティッシュが、いきなり燃え上がったのです。父はあわてて、そばにあったグラスの水をかけました。火はすぐに消え、大事には至らなかったのですが、私も父も何が起こったのか分からず、お互いの顔をまじまじと見つめあっていました。

火付けと言われて

そういうことを思い出していると、「うん、磁場がいがむのは、人が影響してることが多い。ここには火付けがいるね。だから、電化製品などにも支障が出やすいと思う。」というその女性客の声で我に返りました。

「火付け?」私はその人に問いました。

「そう。火付けっていうのは、火を自然に発生させる力を持っている人のことなのよ。研究では、若い人たちが強い感情やエネルギーを発散させるときに起こるのではないか、っていう説もあるみたいなんだけど。」

その女性客は、そう答えると、じっと私の顔を見つめました。そして「でも、無意識でやっていることだから、気にすることはない。悪いと思う必要もない。ただ、その感情の扱い方は学ばないといけないね。」と言いました。

思いにふける私が我に返ったときには、その女性はおでんのお皿の横に千円札を一枚残し、その場から消えていました。

ちなみに、火付けというのは日本語で、英語では「ファイアスターター」とか「パイロキネシス」と言われるそうです。

パイロキネシスpyrokinesis)は、超心理学の超能力の1つで、火を発生させることのできる能力である。(中略)パイロキネシスの事例では、能力を持つとされる者が意図せずに火を呼んでしまうことが多い。1965年にはブラジルのサンパウロ州で、1983年にはイタリアで、1986年にはウクライナのドネツィク州で、火の気のないはずの場所で火事の頻発する事件が生じているが、これらはそれぞれ特定の少年・少女がいた場所でのみ発生しており、彼らがパイロキネシス能力により、無意識に発火を起こしたものと考えられている。(ウィキペディアより引用)

私にそのような力があったのかどうかは不明ですが、その女性客は「感情の扱い方を学ばないといけない」という言葉を残しました。確かに当時はそれまでの環境への怒りや悲しみと、同時に外に出ていけない自分への嫌悪、またそれでも家族のために何かしなくてはいけない、という交錯する思いで行き詰っていました。そういった思いが放出して、火を起こした・・・ということなのかもしれません。そしてそれ以降は火事がぴたっと納まったことを考えると、やはり何かしら思春期の複雑な感情が原因だったのかとも思えます。しかし私には本当の原因は分かりません。ただ私のこれまでの半生で起きた、不思議な経験として今もときおり思い出すことがあります。

 

プロフィール④に続く⇒英語と海外生活と最初の結婚

私のプロフィール①⇒何もかも人と違っていた私の半生

私のプロフィール②⇒不思議な世界に住んでいた幼少時代

私のプロフィール③⇒「火付け(パイロキネシス)」と言われた青年期

私のプロフィール⑤⇒結婚後も続く苦難、そして一筋の光

私のプロフィール⑥⇒アメリカでの人生、再スタート!

私のセッションについてはこちら⇒実際の生活に役立つセッション

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