私たちが地球に生まれてきた訳を教えてくれる映画「The Giver」

”The Giver”(邦題:「ザ・ギバー 記憶を伝える者」はアメリカの作家、ロイス・ローリーによって書かれた児童書です。そしてこの原作を元に、映画も製作・公開されました。この映画(原作)は私たちに、とてもスピリチュアルで、大切なことを教えてくれています。私はその真髄に触れたとき、涙が溢れて止まりませんでした。今回はこの作品について書いてみたいと思います。

   

映画と原作の違い

この映画は、2014年に公開されました。私はよく映画を見た後に、その原作本を読むことが多いのですが、残念なことに、原作と映画の内容が一致していないことがよくあります。

内容的に原作のほうが良かったり、映画のほうが良かったり、まれに両方が良い場合もありますが、この映画は割と原作に忠実だったので、両方を楽しむことができました。ところどころ設定が違っていたりもしましたが、方向性としては同じところを目指しているのが明確だったので、あまり違和感を感じませんでした。

映画となると2時間程度にまとめないといけないので、原作の内容を省かなければいけないところがあるのでしょう。たいてい、原作のほうが細かい描写をしていることが多いのですが、この“The Giver”は逆でした。映画のほうが細かい描写があり、原作と違う部分も、より内容に説得性が出て、とても良かったと思います。

そのあたりは、もともとこの物語は、児童に向けて書かれたということもあるのでしょうか。原作は、それほど長編ではなく、さらっと読める印象です。ところがこの本、その美しい文体と、スピリチュアルな内容に、大人のファンも多いそうです。1993年に発行されて以来、児童を中心に、世界中に1000万部以上も配布されたということです。またニューベリー賞をはじめ、多くの賞も授与されました。映画もこの原作があればこそ、だったのですね。


”The Giver”のあらすじ

それでは、お話の内容を見ていきましょう。

近未来。人々は争いのない平和な理想郷「コミュニティー」で生活を送っていた。そこは徹底した管理社会であり、職業等は全て長老委員会が決定し、人々は投薬によって感情や感覚を抑制されて生きていた。

ある日、そこに暮らす青年ジョナスは、主席長老から「レシーヴァー(記憶を受け継ぐ者)」という大役に任命される。主席長老からの命を受けたジョナスは、コミュニティーの全ての記憶を蓄えている唯一の人物で「ギヴァー(記憶を注ぐ者)」と呼ばれる老人のもとへと向かう。そこでジョナスは初めて、人類が今まで歩んできた愚かしくも輝かしい歴史や、愛や憎しみ等の感情を知ることになる。やがてジョナスは、平和のために人々の自由を奪う社会に対し疑問を抱いていく。

ーウィキペディアより引用

そのコミュニティーに暮らす人々は、飢えや貧困、差別や争いなどもない平和な生活を送っています。映画のはじめは、その穏やかな様子に私も、「今の社会も、こんな未来になったらいいのにな」と思いました。

しかし、映画を見ていくうちに、何か変だな、という違和感を覚えました。そのコミュニティーの住人が、人間ぽくないのです。まるで巧妙に作られたロボットのように感じたのです。

それもそのはず、そのコミュニティーは、「長老会」によって完全に管理された社会で、「感情があらゆる問題の元」と、人々は投薬によって感情を麻痺させられていたのです。そしてその感情と結びつく、人間の過去の記憶もすっかり奪い去られていたのでした。つまり、「記憶喪失」状態にさせられていたのです。

たとえば、戦争や差別などの記憶があると、人間はその経験による辛さや苦しさという感情に支配され、健全な社会を築いていけない。感情は制すべき悪である、という思想が、そのコミュニティーの成り立ちの根本にあったのです。

テイラー・スウィフトもこの映画に出演しています。彼女のお気に入りの本でもあるそうです。

 

人々は、学校を卒業すると、長老会が任命した仕事に就きます。それはその人の性格や適性をじっくりと判定して決められます。

そして、そのコミュニティーには、たった一人だけ「ギバー」と呼ばれる人物がいました。そのギバーの仕事は、過去の記憶を新しく選出された「レシーバー」に引き継ぐことです。これは過去の行為を戒めとして、後世に残していくためのものでした。

ジョナスはその年、数年ぶりの「レシーバー」として任命されました。そして「ギバー」の老人から、過去のあらゆる記憶を受け取っていきます。

過去の記憶は、何も辛く苦しいものばかりではありません。ギバーは最初は、楽しい記憶をジョナスに与えました。何の恐れも不安も持たない青年にとって、貧困や戦争などの記憶はとても耐えられないものだったからです。

ジョナスは初めて雪を見て、雪そりに乗り、海に浮かぶボートの上から沈む夕日を見、過去の美しい世界を経験します。

ギバーにはある計画がありました。それはジョナスに次のギバーになってもらうことではなく、コミュニティーから逃げ出し、外界との境界線を越えてもらうこと。それはコミュニティーの人々に記憶を戻す境界線でもあったのです。ギバーは、感情をもコントロールすることで平和を保とうとする管理社会に疑問を持ち、人々に記憶を戻し、行動を選択させることを望んでいたのでした。

そんな計画など露知らず、すっかりギバーの元に通うのが楽しみになっていたジョナスですが、ある日、アクシデントにより、戦争の記憶を見てしまいます。

初めて人が殺しあう恐ろしい場面を見て、パニックになるジョナス。今まで経験したことのなかった恐怖心という感情を得てしまい、もうこれ以上、レシーバーとして仕事を続けるのは無理、とギバーの元を飛び出します。

しかしその時、実の弟のようにかわいがっていた赤ちゃんが、不出来だということで、明日リリース(処分)されるということが判明します。そのコミュニティーでは、人口でさえもコントロールされており、人の生死も長老会の規定に沿って決まっていました。

恐ろしい戦争の記憶に怯えていたジョナスでしたが、同時に楽しく幸せな記憶も思い出し、過去の過ちを人々に知らせることは、またそれを繰り返すのではないかという心配と同時に、逆にそれを繰り返さないという警告にもなりえるということに思い至ります。

そして、その選択を人それぞれに委ねるのが本来なすべきことと判断したジョナスは、その晩、赤ちゃんを連れてコミュニティーの外に出ることを決心します。

長老会が送った追っ手から逃れ、赤ちゃんを連れて過酷な旅に出るジョナス。灼熱の砂漠を超え、吹雪の雪山を上り、とうとう力尽き死を覚悟したときに、記憶の中で乗った、雪そりを見つけます。そしてそれに飛び乗り、ついにジョナスは境界線を越えるのでした。

「ザ・ギバー」の伝えるもの

この映画は、とても大切なことを教えてくれています。

それは、「私たちがなぜこの世に生まれてきたのか」、ということです。

つまりこの世界は、私たちの生活の場であるけれど、同時に、私たちの遊び場でもあり、修行の場でもあるということ。

そして、日々の経験の中で、喜怒哀楽の感情を通して、自分が完璧な存在であるということを実践し、思い出すためのところなのです。

あちらの世界では、飢えや貧困、差別や争いなどはありません。一切の欲というものがないからです。しかしこの三次元では、同じような欲のない世界を創るのは、とても難しいことです。

「ザ・ギバー」に出てくるコミュニティーでは、記憶を消し、それにまつわる感情を制御することで、その理想世界を実現化しようとしました。

しかし私たちはもともと、感情の生き物です。感情があるからこそ、人間です。そしてそんな私たちが、感情を持ちながら、あの世をこの世に持ってこようとしていることが、「修行」なのです。

そうすることによって、私たちは私たち自身が「創造主」であるということを思い出そうとしています。

喜びが分かるのは、苦しみがあるからこそ。そして光の存在を知るには、影の存在を知る必要があります。

そのために、私たちは、喜怒哀楽という感情を使い、さまざまなことを経験しているのです。

私自身、これまでの人生において、何度も辛い思いをしてきました。「こんなことならいっそのこと感情なんてなかったらよかったのに。」と思ったこともしょっちゅうです。

けれどもし、私たちに感情がなければ、何と味気ない人生になることでしょう。苦しみも感じない代わりに、喜びも感じられないのです。そこにあるのは、ただ「時」だけです。人生を味わえないとすると、私たちは日々をどう生きていけるのでしょう。生まれてきた意味も無くなってしまいます。

ジョナスが記憶を受け取るたびに、それまで白黒だった画面に、少しずつ色が付いていくのが印象的でした。

「レベル3」との共通点にびっくり

余談になりますが、私は以前、キンドルで「レベル3」という自作のSF小説を電子出版していました。それは私が2010年9月に夢で見た物語を元に書き起こしたものなのですが、その後、“The Giver”の映画を観て、その共通点にびっくりしたことがあります。

「レベル3」も近未来で平和な社会が舞台だったこと、その世界に住む人類は、生まれたときからその資質によって職業が決まっているということなどです。

しかし、まったく逆の部分もありました。例えば、そこに住む人々は、皆、過去の記憶は持っていましたし、歴史も語り継がれていました。そして皆が自由に自分の意見を言い、個性や情熱を持って自分に向いたことを仕事にし、互いを尊重しあって、平和な社会を築いていました。

ただ、やはり敵となるのは、同じく人間でした。

考えてみると、私たち人間の敵は、いつも人間です。私たちは、その欲と、喜怒哀楽の感情がある故に、それを満足させようとして争い、奪い合います。

「ザ・ギバー」の長老会の面々も、生活を保障し、人々の喜怒哀楽を制御することで、平和を保とうとしたのでしょう。それは一概に、間違っているとは言えません。実際、社会保障の行き届いた国は、そこに住む人々に安心感を与えるせいか、平和な国が多いと思います。しかし何者も、人の感情を制御するということはできません。それは心を奪うということだからです。そして心が奪われるということは、私たちはもう人間ではなくなるということです。なぜなら、私たちは体・心・魂があってこその人間だからです。

「レベル3」でのテーマは、「愛のいろいろな形」です。地球を取り巻く環境をはじめ、夫婦、親子、兄弟姉妹、友人、子弟関係など、私たちは周囲のものと様々なつながりがありますが、そんな中、私たちがいかに愛を持ち、助け合いながら平和に共存していけるのか、の模索を描いています。そして”The Giver”の著者のロイス・ローリーもまた、私たちはいろいろな問題の引き金となる心(喜怒哀楽)を持ちながらも、平和を模索していかなければならない、ということが言いたかったのではないかと思います。

また、この“The Giver”は実は4部作の1話目です。映画ではこの1話しか製作されていないので、1冊だけと思われている方も多いと思いますが、私は図書館で借りて1冊目を読んだ後、全4話なのだと知りました。

1: The Giver
2: Gathering Blue
3: Messenger
4: Son

となっています。”The Giver”に続けて、4冊とも読んだのですが、何度も繰り返して読みたくなるような、とても美しい、そして人生において大切なことを教えてくれているシリーズです。


皆さまにも是非読んでいただきたく思います。

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